利賀を彩った人々PEOPLE

1925年生まれ。
哲学者。主な著書に『魔女ランダ考』、『共通感覚論』、『劇的言語』(鈴木忠志との対話)など。
 
シンポジウム「文化と演劇」 利賀山房 (利賀山房第6回公演)

コスモスの再発見
この8月の末と9月の末に機会があって、はじめて、富山県の五箇山に近い山中の利賀村と、松本から大糸線で大町のさきの、北アルプスの麓の簗場とに出かけた。そして、意味は大部分ちがうが、それぞれに自然と人間との関係を考える上で新しい経験や見聞をして強く印象に残るものがあった。
利賀村の方は、かねてからその活動に刮目してきた鈴木忠志氏の率いる「早稲田小劇場」が、この地の合掌造りの民家を改造した新しい本拠(劇場兼稽古場)「利賀山房」の開場公演を行うことになった。そこで是非その成果を直接に観たいと思い、東京から汽車とバスで8時間の道程を出かけたのであった。「利賀山房」の開場公演を観に行った以上「芝居を観に行った」のにはちがいないが、それはふつういう意味で、「芝居を観に行く」のとはちがう。この場合、芝居あるいは演劇の意味が「開場公演」そのものを核心としながらも、狭い意味のものから人間論的にもっと広がりを持ったものまで拡大しているからだ。
「早稲田小劇場」が利賀村にその本拠をつくることになったのは、文字どおり早稲田の喫茶店の2階にあったこれまでの本拠が改築されることになって立退かざるをえなくなったからだが、東京都内の別の場所に本拠をつくることはいくらでもできたはずである。それなのに、なぜ、富山の山中の過疎村に拠点づくりをすることにしたのかといえば、いたずらに機械化する都会の生活や劇場のなかで、演劇にとってもっとも本質的な身体感覚が失われていくのを見てとったからであり、そしてまた、高度な演劇的実験をふつうそれとは結びつきがたい僻地の大自然のなかで行うという一種のデペーズマン(シュールレアリスムの用語で、通常の位置からずらすこと)を考えたからである。
このような鈴木氏の意向をとくによく知りうる立場に私はあった。というのは、この春以来彼と私は「エナジー対話」の「劇的言語」をつくるために語り合う機会が多かったし、その「対話」のなかでも利賀村での実験についての抱負が話に出たからである。そういう事情はともかく、右に述べたことからだけでも、利賀村に新しい本拠をつくり、そこに観客を招いて芝居を上演する企て自身がどんなに演劇的なことかわかるだろう。
しかし正直な話、高山線の越中八尾から土砂崩れで路肩注意が続出している山道を1時間20分もバスに揺られている間は、とんでもないところに来させられたものだと思った。ダムのある峡谷を走る断がいの道は至るところにヘアーピン・カーブがあり、もうあの辺と思うと山並を幾つも越えて、もっともっと山奥深く進むからである。
「利賀山房」の開場公演そのものの演劇的成果については高橋康也氏が委曲をつくした文章(「ある宴の夜」『文芸』11月号)を書いているので、ここでは触れない。ただこの観客も村人をも巻きこんだ一大ドラマに立ち会ったものの一人として、とくに感じた三つのことだけを言っておきたい。第一はそのような場所に高度に凝縮した劇的空間=時間を現出させた演出家鈴木忠志の本筋をふまえた構想力と実行力の卓抜さであり、第二は広漠とした大自然のなかで合掌造りの内部が限定する空間の堅固さであり、そして第三は、ちょっとほかには経験したことのない豊かで贅沢な時間を享受したということである。費用や時間は、たしかに芝居をつくる側も観に行く側もふつうよりはかかっているにしても、そういうことをはるかにこえた豊かさであり、贅沢さである。
「早稲田小劇場」の「利賀山房」開場公演は今年は僅かに一日だけの公演であったが、そういうきわめて限られた時間であったにしろ、これまで過疎村としていわば眠っていた自然の空間を活性化させ、濃密な劇的空間として立ち現れさせたことの意味は大きい。それは、これまでの「自然開発」や「自然利用」が都市による周囲の自然の蚕食やまた大規模な別荘地づくりのように、いわば自然をもっぱら都市に引きよせるやり方とは正反対のものである。
<中略>
私たち人間は、いま、無計画な自然の破壊や汚染による生態系の危機を十分克服もしなければそれへの適切な対策をも立てられないままに、異常気象と寒冷化の進行とについて警告を受けるというダブルパンチを見舞われている。このようなときにあたってなによりも考えるべきことは、私たちに与えられた自然、まだ幸いに残されている自然を、これまでのように一面的、一義的に文明に引きよせて利用する、あるいは浪費するのではなく、できるだけ多面的、多義的に生かすことだろう。
その自然とは人間の外にあるものばかりではない。人間自身もまた自然の一部であるから、外部の自然をその豊かな多義性においてとらえることなしに、どうして人間の身体諸感覚をめざめさせることができるだろうか。また、身体諸感覚をいっそうめざめさせることなしに、どうして自然を、それを一面的に利用してきた文明からまもり、救い出すことができるだろうか。
『コスモスの思想―自然・アニミズム・密教空間』(日本放送出版協会)のなかで岩田慶治氏が、「この世界はどうしても<コスモス>であって欲しい。<コスモス>でなければならない」と熱っぽく訴えかけ、そのコスモス(有機的宇宙)を身体運動を共にすることによって現れてくる世界としてとらえているのも、同じ観点からである。
(毎日新聞 1976,10)